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プロフィールEnglish)│経歴詳細武部勤が語る−あの時ー

中川一郎先生の後だてで道議選に出馬

 そこで、地元から、近藤正廣君、上西康公君、金盛勝雄君とか同級生から、帰ってこいと声がかかった。もともと斜里からは八年前まで道議会議員が出ていたのですが斜里の町は政争の町で地盤はあるのに、なかなか道議会議員を出すことができる環境ではありませんでした。それで、みんなに勧められてぽこっと帰ったのだけれども、帰るに際して、中川一郎先生にあいさつに行きました。

 中川先生が国会に出たころ、当時、私の父が、うちの「珍満」でラーメン二杯をペロリと食べた中川一郎先生の最初の選挙を応援したのです。その父から、私が三木武夫先生のところにいるという話を聞いて、中川先生が電話をかけてきてくれました。それから、私は中川先生のところに、自分の書いた論文や調べた資料をときどき届けていました。そんな関係で中川先生からスコップのような手で握手されて、激励を受け中川先生からも物心両面の応援をいただくことになったのです。

 そして、地元に帰っていろいろ運動を始めたけれども、地元の自民党ですら、入党を認めてくれませんでした。三木武夫先生という大政治家のもとで勉強した私の入党を認めてもらってもおかしくないはずなのですが、入党させてくれない。それで、学生時代から親がわりで、東京にくれば、私の友人達まで食事をご馳走してくれた中川イセさん、当時は自民党道連の婦人部長の“ばっちゃん”が一緒に札幌の道連まで行ってくれて、中川イセばっちゃんが紹介者ということで入党させてもらいました。

 しかし、公認はもらえないということで悪戦苦闘しました。当時は、ちょうど今のような風潮があって、新しい風を求める気運があった。斜里の議長の赤木寅一さんが広域農道を整備するということを条件に、中川一郎先生から「後援会長になってやってくれ」と頼まれ赤木さんが連合後援会長を引き受けてくれました。また、藤谷さんの町長選挙のときに「いずれ武部君のマイクを持つときがあるかもしれないな」と言ってくれていた、阿部佑太郎さんというホクレンの副会長が約束通り実際に応援してくれました。

 そして、美幌の輿石眞澄さんが三十八歳で私の幹事長になってくれたのです。ほかにも、ほとんどの新しい後援会長が四十歳未満でした。四十歳以上の町の有志というのは後援会役員なんか引き受けてくれる状況になかったからです。ほとんどの役員が二十代、三十代でした。もっとも中には常呂の土田重太郎さんという大野伴睦さんの親友という古老がいて、このひとなんかは、「中川一郎から言われた」と言って後援会長を引き受けて応援してくれましたね。そんな人も数少なかったがいました。

 あのときは現職の壁が厚かった。天谷平信先生、三上勇先生、大沢重太郎先生、それから一回落選していたけれども、元職の村上庄一先生、自民党が四人いた。私が出て保守系が五人。それから、社会党の亀井忠衛先生と小堀秀次先生に共産党。定員五人のところを八人で戦ったのです。

 

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